続、人生泣き笑い 写真が出来上がりましたのでご覧下さい! 出たくないと頑なに断っていたわりには、出演したら面白くてその気になりきって...しまって。 私だけじゃなく、かすみ会のメンバーが大張り切りって感じです。毎回ご出勤、本当どうなっているの? まぁハガキもいっぱいきて、のぶさんやディレクターの加島さんも大喜びです。 なんと言っても柴田先生です。本当に長い御付き合いえおさせて頂いているにもかかわらず、自分の事の様に喜んでくださっています。 もうすっかり、雰囲気にも慣れてアナウンサー気取り、ディレクター気取り、写真でおわかりでしょう本物の陰がうすいのです(笑)ホント森下先生なんか何十万モノギター持ち込みでさださんの歌を弾いたり、私の伴奏をしてくれたり、研究どうなってんのと言いたい位です。 だってラジオの電波で流れるのよ、そして永久に残るんですもの?西山さん、たまきママ、MRTさんに感謝感謝しなきゃね。 そして多くのスポンサーさんにもなんと言っても柴田先生の計らいでまさしさんからのたくさんのコメント、涙が出ました。 今年は最高あ〜〜我が人生にくいなし!来年も頑張るぞ♪サクラサク♪かすみもさくかな、まだまだ番組続くのでみんな応援してね!一人では何もできない私だから今年もみんな有難う!!
追伸:年のはじめはさだまさしを見ようね!
10月13日(金)、宮崎市学校評議員研究大会(宮崎市教育委員会)が行われました。 講演、柴田紘一郎先生の話しを聞きました。 演題「医学を学ぶ 科学を学ぶそして患者さんに学ぶ あつく生きる」心が熱くなりました。 医者は「患者さんが」教師、先生方は「子供が」教師。先生の謙虚な心がいつも伝わります。 命は使いましょう。 使命とは生きがい、働きがいであると話されました。私の父は消防団長でした。夜中にサイレンがなると飛び出していく、その後ろ姿に私は小さい頃から使命を焼き付けられました。大きな財産をもらっています。 かすみの椅子は『止まり木』鳥が餌を探して帰る時、疲れた羽を休める為、木に止まる。かすみの椅子もそんな羽を休める止まり木でありたい、毎晩そんな使命を忘れずにお客様の為に一生懸命働いて行こうと思う。 柴田先生の講演でこれから生きて行く事の大切さを教えられました。市教の方々も夜は本当に水を得た魚のように元気でした。こんな良き会を作って下さった市教の上田先生、岩切先生方々本当に有難うございました。
今日から10月、朝晩が涼しくなり体力の回復の季節、振り返れば暑かった夏はたったの3ヶ月なんですね。 9月13日発売のCD『美しき日本の面影』とても素敵な歌が出来ていて、毎日何回となく聞いています。♪桜桃♪鉢植えの子供♪大晦日♪サクラサク♪、今日日本人が忘れているものを思い出させてくれる歌です。まさしさんのさけびが聞こえてきます。 飲酒運転の事故も多いですね。色々と運動がはじめられていますが、鍵を預けなければ飲酒運転が止められない、情けなくて情けなくて、何を考えているんだと叫びたくなります。福岡での幼い3人の子供さんの事故は気が狂いそうでした。その数日後に大分の県職員女性が飲酒運転、友達とワインを飲んでの帰り、高いワインは飲んでタクシー代はケチって、他人の悲惨な事故は他人事なんでしょうか?『クビだ!』と新聞を見て叫びましたが、ただ6ヵ月の停職。やり切れない気持ちでした。 救われるのはさだまさしさんの歌です。 新曲♪桜桃♪(さくらんぼ) ♪泣いてもいいよ こらえなくてもいいよ 幼い頃の様に 大きな声あげて泣いてもいいよ こらえなくてもいいよ どれほどの悲しみもいつかはきっと消えるから♪ 可愛い頃のさくらんぼに逢いたいです。 11月22日宮崎市民文化ホールでのコンサート、待ち遠しいです。 とろける様な優しいまさしさんの歌声に早く逢いたいよう〜〜〜。
かすみ
夏長崎から無事にかすみ会メンバー生還いたしました。 しかし、多かった。良くもこんなに長い間(20年)稲佐山に連れて行ってくれた。本当にすごい人だと思いました。ずっと無料でした。 何故無料にしたかという事を話しました。お金を取ると家族全員で来る事は無理で、2人位は家に残る、そうなると家族全員で稲佐山へ来て平和の祈りが出来ない。戦争をなくしたことも大事だが、家族の平和も大事。家族全員で小さな花の種を一つづつまいて世界中にきれいな花が咲きます様にと思いを話しました。 まさしさんの思い願いは原爆の落ちた長崎から届いています。今年は歌もバックの皆さんの演奏も本当に力が入っていました。素晴らしかったです、感動しました。特別出演の方々の願いも届きました。 帰ったら疲れが出るだろうと思っていましたが、かえって、より元気になりました。本当に祈りをして体中の重いものを稲佐山に置いて来たようですね。 私も小学5年の時、鹿屋で空襲に遭いました。学校へ行けば防空壕掘りでした。「なんでこんなものを作るんだろう、敵が爆弾を落としたらひとだまりもないのに」小さな水筒で少しずつ水を飲みながらとても暑い夏でした。爆弾が落とされた時は防空壕まで行けず父を暗い奥の方にあるトイレに押し込み「お父さんと一緒に死ぬ」と言ったことを思い出しました。 戦後61年、稲佐山の夏もとても暑かったけど、平和でした。少しずつ平和になっているような気がしました。そう信じたいです。 来年は広島から「長崎の空」へのコンサート。又みんなで集まって世界へ幸せの手と手をつなぎましょう! コンサートが終わってからのオフ会も楽しかった。 東京から、京都から、鹿児島から、福岡から、神戸から、宮崎から、まさしさんがくれた御縁、有難う。来年も元気で広島で逢いましょう。 今年より来年はもっともっときれいな花を咲かせましょうね。 次は11月宮崎市民文化ホールでのコンサートが待っています。みんな宮崎にも来てね。 まさしさんの10周年コンサートDVDが届きました。10周年の頃はお金がなくて、今もないけど(笑)、コンサートにはほとんど行っていません。当時のコンサート気分、これで暑い夏も乗り切れるぞ〜〜。今、コンサートに行ける幸せをしみじみ感じています。今つらい思いをしている人、その道のりは明るい道へとつながっていますよ。まだまだがんばらんばぁ。 これは自分へのメッセージでもあります。
「風に立つライオン」こと柴田紘一郎院長が平成18年3月31日をもって県立日南病院を退職されました。 宮崎県病院局経営管理課に転勤された日隈さんより、柴田先生の退職にあたってのインタビュー会報を送って下さいました。うれしかったです。柴田先生の病院への熱い思い少しお知らせいたします。 インタビュー:「最後に病院に一言お願いします」 柴田先生:「税金の投入で運営されている自治体病院であることを忘れないで」 先生は会う度にこの事を話されました。私は住民の税金でメシを食べるの嫌なんですよって。本当にいつも住民にお返しをしようと、お返ししようって働いてこられた方です。本当に先生は神様じゃないかと思っています。いや神様です。先生これからも宮崎の医療に力を注いでください。
『茜さす 日南の丘の 病院は 家族の心と 拈華微笑』 先生の御言葉です。 (注)拈華微笑(ねんげみしょう):文字や言葉によらず、心から心に伝わること
先生これからも風に向かって立つライオン先生でいて下さい。行先に幸あれと祈ります。とりあえずお疲れ様でした。再就職先(笑)宮崎市内の迫田病院です。元気な方も遊びに行ってくださいね。 追伸:日隈さんは柴田先生と入れ替えに病院局になったこと残念がっていらっしゃいました。一緒に柴田先生と仕事をしたかったようです。
〜2006年1月18日〜