〜2006年12月26日〜

続、人生泣き笑い
写真が出来上がりましたのでご覧下さい!
出たくないと頑なに断っていたわりには、出演したら面白くてその気になりきって...しまって。
私だけじゃなく、かすみ会のメンバーが大張り切りって感じです。毎回ご出勤、本当どうなっているの?
まぁハガキもいっぱいきて、のぶさんやディレクターの加島さんも大喜びです。
なんと言っても柴田先生です。本当に長い御付き合いえおさせて頂いているにもかかわらず、自分の事の様に喜んでくださっています。
もうすっかり、雰囲気にも慣れてアナウンサー気取り、ディレクター気取り、写真でおわかりでしょう本物の陰がうすいのです(笑)ホント森下先生なんか何十万モノギター持ち込みでさださんの歌を弾いたり、私の伴奏をしてくれたり、研究どうなってんのと言いたい位です。
だってラジオの電波で流れるのよ、そして永久に残るんですもの?西山さん、たまきママ、MRTさんに感謝感謝しなきゃね。
そして多くのスポンサーさんにもなんと言っても柴田先生の計らいでまさしさんからのたくさんのコメント、涙が出ました。
今年は最高あ〜〜我が人生にくいなし!来年も頑張るぞ♪サクラサク♪かすみもさくかな、まだまだ番組続くのでみんな応援してね!一人では何もできない私だから今年もみんな有難う!!

追伸:年のはじめはさだまさしを見ようね!

柴田先生、焼酎飲んで始まる前からご機嫌!かすみさんも飲めない焼酎飲んでもうご機嫌!!二人の息もぴったりです。 ドキドキしながらもなりきっているところが良い!でも堂々ととして態度が少し大きすぎる?
始まる前の打合せ。柴田先生がし切っている感じ。 柴田先生、森下先生二人ともディレクターになりきっている。本物のディレクター加島さん(ガラスの向こう)の陰が薄い...。
でも柴田先生、森下先生も「大丈夫かな」と心配そう...。
 
応援隊の方が多い「人生泣き笑い」番組、メデタシ、メデタシ。  
石川さんと食事会の写真<11/20夜「光辰」にて>
宮崎でのコンサートの出来事。
かすみ会のメンバーでお食事会。みんな嬉しそうです。ご機嫌な笑顔!
石川さんもご満足、美女・美女に囲まれて?
ベストも贈られて、試着済みとても何歳とは思えぬ若さ。これからもみんなの為に頑張ってとエールを送る。
今年はこれで最後かな?本当に有難う、有難う。
来年もHPよろしくね、来年はもう少し頑張って、間を開けずに出すね。

〜2006年12月13日〜
「人生泣き笑い」MRTラジオ番組放送の録音どりがありました。かすみ会のメンバー大勢来てくれました。
昔の子供達の話題だったので♪昔子供達は♪のCDを流しました。それから私の歌は森下先生の(ニセ石川鷹彦)のギターにのって♪大切な人♪♪桃花源♪をやっちゃいました。元々歌は下手なので聴く程もないので聴かないで下さい。まあ全放送じゃないので、ラッキーな面もあります。
さださんファンの方からもたくさんハガキがきていますがほとんどプレゼントが欲しいようで...。正直で良いと思う(笑)でも元気の出るメッセージがたくさん届いています。
それにしても私の歌に柴田先生(ライオン先生)まぁ、身振り手振りの応援に感謝しました。二人は一心同体かな?テレビだと良く伝えられたのにね。
森下先生のギターが特別に良い!聴いても損はしないと思います!!

〜2006年12月01日〜
HP随分と失礼致しています、ごめんなさい。
11月は毎日のように(少しオーバー?)用がありまして、まさしさんの壁掛けカレンダーは毎日書込みで大変でしたよ。と言うのもかすみさん『メジャー進出』!!MRTラジオ番組が舞い込んできて、生まれてはじめの電波に、ただただ感激しているところ。
近くに住んでいる人は聞いてね。さださんファンにはたまらない番組よ(笑)『人生泣き笑い』毎週月曜日。
あっ、この前の宮崎コンサート11/22無事終わってうれしいのと少し淋しいのと、それにしてもいい歌が次々に出来て本当にすばらしい。唯々感謝感謝の気持ちでいっぱいです。この分だと私、年取る事忘れそうです、まさしさんの歌で今日も明日もルンルン!!
いよいよ12月に入ります。新しい年がすばらしい年になりますよう、後悔のないよう、頑張ってみませんか?もう遅いかな?(笑)
じゃまたね!!

〜2006年11月02日〜

10月13日(金)、宮崎市学校評議員研究大会(宮崎市教育委員会)が行われました。
講演、柴田紘一郎先生の話しを聞きました。
演題「医学を学ぶ 科学を学ぶそして患者さんに学ぶ あつく生きる」心が熱くなりました。
医者は「患者さんが」教師、先生方は「子供が」教師。先生の謙虚な心がいつも伝わります。
命は使いましょう。
使命とは生きがい、働きがいであると話されました。私の父は消防団長でした。夜中にサイレンがなると飛び出していく、その後ろ姿に私は小さい頃から使命を焼き付けられました。大きな財産をもらっています。
かすみの椅子は『止まり木』鳥が餌を探して帰る時、疲れた羽を休める為、木に止まる。かすみの椅子もそんな羽を休める止まり木でありたい、毎晩そんな使命を忘れずにお客様の為に一生懸命働いて行こうと思う。
柴田先生の講演でこれから生きて行く事の大切さを教えられました。市教の方々も夜は本当に水を得た魚のように元気でした。こんな良き会を作って下さった市教の上田先生、岩切先生方々本当に有難うございました。


〜2006年10月01日〜

今日から10月、朝晩が涼しくなり体力の回復の季節、振り返れば暑かった夏はたったの3ヶ月なんですね。
9月13日発売のCD『美しき日本の面影』とても素敵な歌が出来ていて、毎日何回となく聞いています。♪桜桃♪鉢植えの子供♪大晦日♪サクラサク♪、今日日本人が忘れているものを思い出させてくれる歌です。まさしさんのさけびが聞こえてきます。
飲酒運転の事故も多いですね。色々と運動がはじめられていますが、鍵を預けなければ飲酒運転が止められない、情けなくて情けなくて、何を考えているんだと叫びたくなります。福岡での幼い3人の子供さんの事故は気が狂いそうでした。その数日後に大分の県職員女性が飲酒運転、友達とワインを飲んでの帰り、高いワインは飲んでタクシー代はケチって、他人の悲惨な事故は他人事なんでしょうか?『クビだ!』と新聞を見て叫びましたが、ただ6ヵ月の停職。やり切れない気持ちでした。
救われるのはさだまさしさんの歌です。
新曲♪桜桃♪(さくらんぼ)
♪泣いてもいいよ こらえなくてもいいよ 幼い頃の様に 大きな声あげて泣いてもいいよ こらえなくてもいいよ どれほどの悲しみもいつかはきっと消えるから♪
可愛い頃のさくらんぼに逢いたいです。
11月22日宮崎市民文化ホールでのコンサート、待ち遠しいです。
とろける様な優しいまさしさんの歌声に早く逢いたいよう〜〜〜。

かすみ


〜2006年9月26日〜
30℃を超えるあの暑さ、どこへ行ったんでしょう。
今宮崎の朝夕は涼しく、秋の足音がもう聞こえます。
8月25日の宮崎日日新聞に『在宅ホスピスの実際』友井絹子さんのケースで4日にわたって連載されました。友井さんは生れつきの障害者でしたが、自分の手で自分らしい人生を切り開いてこられました。また大のさださんファンで、末期がんでありながら長崎へ友人・知人が行動を共にしてくれてさださんの歌に元気をもらって宮崎へ帰りましたが、2週間後に亡くなりました。
友井さんは車椅子でかすみに来て下さいました。いつも笑顔が素敵でした。幸せとは笑顔だという事を教えられました。
みんなのリレーでまさしさんに通じて、友井さんに最後のメッセージを頂きました。
『よしがんばったね、ありがとう』
御葬式ではさだまさしさんの花輪も届いていました。
友井さん、今日まさしさんからきれいな花が届いているよ。見えるでしょう。今日貴女のために♪人生の贈り物♪を歌ってくれているよ、聞こえるでしょう。大きなご褒美もらったね。
とお別れの言葉を言いました。人の心を動かすのは、お金でもなく、肩書きでもない、心でしかないと言う事を教えられました。
♪座って沈む夕日を一緒にながめてくれる友がいれば他になにも望むものはない♪
友井さんは8月5日の夜(コンサートの前日)稲佐山で仲間と人生最高の夜を過ごされたと思います。
詳しくは『宮崎日日新聞』のHPを見て下さい!
友井さんに同行して下さった新聞記者の外前田さんに心温まる記事を書いて下さって御礼を申し上げます。
事故のニュースが多くて心が暗くなります。
朝新聞を見て元気の出る記事がもっともっと欲しい、そしたらみんな元気で仕事場に行く事でしょう。

かすみ

〜2006年8月〜

夏長崎から無事にかすみ会メンバー生還いたしました。
しかし、多かった。良くもこんなに長い間(20年)稲佐山に連れて行ってくれた。本当にすごい人だと思いました。ずっと無料でした。
何故無料にしたかという事を話しました。お金を取ると家族全員で来る事は無理で、2人位は家に残る、そうなると家族全員で稲佐山へ来て平和の祈りが出来ない。戦争をなくしたことも大事だが、家族の平和も大事。家族全員で小さな花の種を一つづつまいて世界中にきれいな花が咲きます様にと思いを話しました。
まさしさんの思い願いは原爆の落ちた長崎から届いています。今年は歌もバックの皆さんの演奏も本当に力が入っていました。素晴らしかったです、感動しました。特別出演の方々の願いも届きました。
帰ったら疲れが出るだろうと思っていましたが、かえって、より元気になりました。本当に祈りをして体中の重いものを稲佐山に置いて来たようですね。
私も小学5年の時、鹿屋で空襲に遭いました。学校へ行けば防空壕掘りでした。「なんでこんなものを作るんだろう、敵が爆弾を落としたらひとだまりもないのに」小さな水筒で少しずつ水を飲みながらとても暑い夏でした。爆弾が落とされた時は防空壕まで行けず父を暗い奥の方にあるトイレに押し込み「お父さんと一緒に死ぬ」と言ったことを思い出しました。
戦後61年、稲佐山の夏もとても暑かったけど、平和でした。少しずつ平和になっているような気がしました。そう信じたいです。
来年は広島から「長崎の空」へのコンサート。又みんなで集まって世界へ幸せの手と手をつなぎましょう!
コンサートが終わってからのオフ会も楽しかった。
東京から、京都から、鹿児島から、福岡から、神戸から、宮崎から、まさしさんがくれた御縁、有難う。来年も元気で広島で逢いましょう。
今年より来年はもっともっときれいな花を咲かせましょうね。
次は11月宮崎市民文化ホールでのコンサートが待っています。みんな宮崎にも来てね。
まさしさんの10周年コンサートDVDが届きました。10周年の頃はお金がなくて、今もないけど(笑)、コンサートにはほとんど行っていません。当時のコンサート気分、これで暑い夏も乗り切れるぞ〜〜。今、コンサートに行ける幸せをしみじみ感じています。今つらい思いをしている人、その道のりは明るい道へとつながっていますよ。まだまだがんばらんばぁ。
これは自分へのメッセージでもあります。

コンサート前日の夜、長崎の中華街でみんなでお食事をしました。おいしかったですねえ。
さあ、コンサートが始まります。大勢のお客さんがいて、そしてとても暑い長崎でした。 次第に夕方になり、夕焼けがきれいに見えてきました。
さあ、かすみさんのワンマンショー。うちわギターの始まりです。
次第に暗くなってきました。空の雲がオレンジ色に輝いていました。
戦い終わって日が暮れて。打ち上げには全国のファンが集まりました。
次の日、母と娘です(嘘)。偶然に博物館でばったり。血は争えませんね。
*今回更新が大変遅くなってすみませんでした。

〜2006年7月31日〜
もう7月も今日まで。雨にたたかれ、暑さにたたかれて私は強く生きて行きます。
73才の誕生日も3日間“派手”に行われました。まさしさんの武道館での二日間より、1日長い(笑)。
良くもこんなに集まってくれて『長生きせよ〜、長生きせよ〜』のメッセージ、遠くは長野の幸さん、岐阜の大ちゃん、東京のひとみさん、さゆりさん、鹿児島の佳代さん、美紀さん、松田先生、福岡の一柳さんと奥様...は大雨の為、熊本で引き返され、本当に何と言っていいのかわかりません。これもさだまさしさんがくれた御縁なのです。
宮崎のかすみ会のメンバーからは、素敵な着物のプレゼント!“着物を着た時だけはおとなしくするのよ〜”って言われ、おとなしくしているのがきつかった〜〜!森下先生“後姿がいい”、柴田先生“孫にも衣装!”ですって(怒...笑)
まだまだ誕生日を重ねたいですが、そのうちみんなが『もういいんじゃない』って言いそうですね。
心はもう『夏、長崎』へ体調を整えて♪がんばらんばぁ〜♪
いつも支えてくれてありがとう!

〜2006年6月〜
みんな元気にしていますか?5月病なんて誰が名付けたの、5月は寒さにじっと耐えた木々が力強く若葉が芽をふき、目に緑がまぶしい季節です。私を元気にしてくれます。
重い衣をぬき、心も軽くなるそして待っているのは『夏、長崎』!みんな準備できましたか?こちらかすみ会は交通宿泊、もうばっちりJTBの能一(ゆういち)さんに無理言って...。
最終会の稲佐山コンサート、みんなで踊りましょうね、歌えますか?♪がんばらんば♪もう踊れますか?少し私にはむずかしいですが、なんとかDVD見て練習中です、孫に習って上手になります。3万人の平和コンサート一緒に歌い踊りましょうね!心の痛い更年期にさしかかっている貴女(笑)、さださんの歌でふっ飛ばせ〜〜〜!笑い飛ばせ〜〜〜!
堀川さん(さださんファンで)HP見て下さる方ですが、私の日記もほしいと言われましたが、今日の日記もやっぱりさださん三昧です。ごめんね...。
かすみ

〜2006年4月26日〜

「風に立つライオン」こと柴田紘一郎院長が平成18年3月31日をもって県立日南病院を退職されました。
宮崎県病院局経営管理課に転勤された日隈さんより、柴田先生の退職にあたってのインタビュー会報を送って下さいました。うれしかったです。柴田先生の病院への熱い思い少しお知らせいたします。
インタビュー:「最後に病院に一言お願いします」
柴田先生:「税金の投入で運営されている自治体病院であることを忘れないで」
先生は会う度にこの事を話されました。私は住民の税金でメシを食べるの嫌なんですよって。本当にいつも住民にお返しをしようと、お返ししようって働いてこられた方です。本当に先生は神様じゃないかと思っています。いや神様です。先生これからも宮崎の医療に力を注いでください。

『茜さす 日南の丘の 病院は 家族の心と 拈華微笑』
先生の御言葉です。
(注)拈華微笑(ねんげみしょう):文字や言葉によらず、心から心に伝わること

先生これからも風に向かって立つライオン先生でいて下さい。行先に幸あれと祈ります。とりあえずお疲れ様でした。再就職先(笑)宮崎市内の迫田病院です。元気な方も遊びに行ってくださいね。

追伸:日隈さんは柴田先生と入れ替えに病院局になったこと残念がっていらっしゃいました。一緒に柴田先生と仕事をしたかったようです。


〜2006年4月20日〜
新年度が始まり、入学・就職・転勤それぞれ忙しい日を過ごされた事と思います。ここらでさださんの歌トークなど如何でしょうか?私は新年度気持ちの切り替えに先ずは“福岡サンパレス”さだまさしコンサートツアー『とこしえ』に行って来ました。
宮崎の病院に勤めていらした渡辺先生御一行(現福岡在住)と読売新聞社の藤野さん(現福岡在住)と一緒でした。藤野さんは宮崎支局長でいらした時、さだまさしの来る店として取材に来られて知り合った方です。藤野さんは56歳になるというのに今回さださんの公演“初デビュー”でした、けしからん(笑)!でもベストのCD1枚は持っていらっしゃいます。“かすみ”に来るにはさださんの歌を知らねばと言う気持ちから買われたのです。コンサートでは無理やり『とこしえ』のCDを買わせました(笑)。コンサートでは3時間もの間、一生懸命聴いて下さって一曲一曲拍手されました。横に座っていて“なんと優しい人だろう”と思いました。
評を聞きました。『さださんは「お客様は神様です」とよく言っていらした三波春夫さんだと言われ、気配り・目配り更に御土産品持たせてくれる様なそんな人』だと言われ、さださんは年を重ねる度に益々いい歌を作る人ですねって!
無理に誘った気もしましたが本当にお誘いして良かったと、自分が褒められている様で有頂天になりました。ファンの方なら解って下さると思いますが、さださんの歌・人柄を褒められたらうれしいですよね。
それから渡辺絵理ちゃん(高3)とも一緒にコンサートを聴けてほんのちょっとの時間でしたが本当に心温まる実のある時を過ごしました。まさしさんのトークも元気が出ました。私にもある時期同じ様に借金があり「あれ程の金額ではありません」(笑)30年たった今、乗り越えた様で本当に幸せな日々をもらっています。トークに「未来は本当に何が起こるかわからない、本当にとんでもない幸せが来ます、それが未来だ」そうです。さださんも頑張っているから私達もまだまだ頑張りましょうね!!
最終のバス出発まで時間を惜しみながらおしゃべりして、ちょっぴり涙も流して...。元気でいればまた逢えると車中の人になりました。本当に有難うの心を残して。
渡辺先生、もつ鍋おいしかったです。藤野さん楽しかったです。こんな楽しい時間を過ごせたのもさださんのおかげです。感謝、感謝!!また行くねぇ〜〜!

〜2006年3月30日〜
面白いお話。
病院に勤めていらっしゃるKさん(男性42歳)の事を少し話します。
さださんの歌が大好きな方です。小学校の頃からのファンで...お姉さんの影響らしいです。♪転宅♪の歌の事です。
柴田先生と大笑いしました。最初の♪おやじがはじめて負けて♪と言う詩の意味が解らなかったそうです。おやじが何に負けたのかな?パチンコに負けたのかなって、そして♪おばあちゃんが畳をふいていた♪「何でおばあちゃんが畳をふくんだろうって」。
「詩がわからないのによく聞いてましたね?小学生なのに」と言ったら「メロディーがなんとなく気に入って好きだった」と言われました。大人になってから意味がわかってこられたとの事。さださんの歌は年を取るにつれて胸にジ〜ンとくる歌ですよね。さださんの歌は一生のものですね。うれしいにつけ悲しいにつけまさしさんの歌には元気をもらっています。
次は、私事です。レインボーママの長男が希望の高校へ入学、めでたし、メデタシ。
「ばあちゃん、俺ね、家まで雄叫びをあげて帰ったよ〜」って電話くれました。大事な孫の第一関門突破ってところです。受験生の皆さんに合格差し上げたらいいのになぁと思いますが、自然の中に生かしてもらっている私達です。晴れの日もあれば雨の日もあり、寒い日もあれば暑い日もあります。何はともあれ自分との戦いです。
いよいよ4月、新年度に向かってがんばりましょう!!

追伸:
Kさんは「風に立つライオン」の本に柴田先生からのサインを頂き、小学生の様に喜んでいらっしゃいました(笑)。私までうれしくなりました。人と人が出逢う時間って最高の喜びになるのですね。

〜2006年2月21日〜
二月も中旬になると、春の足音が聞こえてきます!うれしい便りを一杯運んできてくれるといいですね〜!
皆さん、“3,333回”のDVD届きましたか?久し振りのゆっくり日曜日。トリノに釘付けのはずなんですが、なぜかテーブルの上にある“DVD”がやけに気になるのです。「これは楽しみにとっておきましょう」と思っていた...。でも何かしらいつもの日曜の夜と違うのです。“寝”なきゃ“寝”なきゃと思うのですが、いつもと違う「ここは」ともう!思い切って“DVD”の封を切って、スイッチON!
台風で行けなかった『一夜』だけを見ました。やっぱり顔が明るくなっていく自分が見え、心がうれしくなっていく自分が見え、吉田政美さんとの共演もとっても面白く、30年経った二人がまぶしく本当に人間味にあふれて、まぶしかったです。
来週もまたがんばろうとゆっくりと休みました。私の元気の素家で「私一人の為のコンサート」に感謝です。まだ『二夜』が残っています。一回で全部見なくて良かった。まだまだ楽しみが残っているんです、ルンルン(笑)!!この気持ち、ファンの方なら解ってくださいますよね。楽しみは少し残しているものですね〜。
ではまたね!
<『二夜』は私の笑い声と拍手も参加に?ハハハ>
かすみ

〜2006年2月〜
♪年のはじめはさだまさし♪ってうかれている内にもう2月に入りました。早いですね〜、早すぎますよね!
2月となれば大学入学試験、高校入学試験などが待っていて.....。私の孫も高校受験です。ふと思い出します。
3年前、3月鹿児島のコンサートでまさしさんが♪櫻散る♪を歌ったのです。私はこの歌大好きなのです、でもこの時とばかりは「ヤバイ...」と思いました。何も今日これを歌わなくてもと思ったのです。っというのも“レインボーママ”の長女が2日後に合格発表だったのです。心のどこかに少し気にしていたものですから...。
それから数年前に1人の男性が店に来られました。福岡の九大病院の先生です。高校入試の時、僕が合格したらさださんのレコード全部買ってくれるか?と言ったら『いいよ』って母が言いました。母はさださんのレコードは2、3枚位だろうと思ったらしく...、全部買ったら3万円以上だったらしく『うそつき!』と怒られたらしい(笑)。そして大学受験を向かえ試験が終わった日にまさしさんのCDを買って家で聞いたらなんと♪櫻散る♪が入っていたそうです。この方はもう駄目だったと思って「合格発表は見に行かなかった」とおっしゃいました。でもめでたく‘九大医学部’へ入学されたのです。
と言う様な訳ですから、3月は♪櫻散る♪は歌わないで欲しいと思う(笑)のですが...。みんながんばって勉強したのだから、3月は『さくら咲く』?(笑)を歌って欲しいです。
受験生のみなさんにすばらしいさくらの季節、4月が参ります様祈っています。私は4月に福岡コンサートに行きます。♪春らんまん♪でも歌いながら〜!
受験生の皆様どうか風邪を引かない様にネ!
受験生のご両親様方、何かと出費が大変ですね、かわいい子どもの為に“エンヤ〜コ〜ラ”とがんばって下さい!!
こちらも、3年、4年したら春が来ますよ!
子育て卒業生より

〜2006年1月18日〜

 明けましておめでとうございます。
 2006年の年の初めは、さだまさし♪年のはじめはさだまさし♪さださんファンにとって最高の年明けになりましたね。紅白の♪広島の空♪も良かったし感動いたしました、NHKに感謝!
 正月早々、レインボー(二児?)ママの家族とカラオケに行きました。お父さんが仕事で不在でしたので私が♪関白 失脚♪を歌いました。みんなで最後にお父さんへのエール♪ガンバレ ガンバレ みんな♪と歌いこちらも最高の年明けになりました。長女は専門学校生、長男は高校入学、こんな事やってていいのかな?ばあちゃん...。
 という様な事で今年もよろしくね。
 今年もやっぱりさだまさしさん!
 ♪とこしえ♪にさださんを応援しましょうね、エイエイオー、 ワンワンワン!

 2005年〜かすみクリニックニュース〜
 ◆
2004年〜かすみクリニックニュース〜
 2003年〜かすみクリニックニュース〜