〜2005年12月14日〜
10月23日の宮崎日日新聞を読んで。 小学校の先生が41歳で医者をめざし宮崎大学医学部に入学されめでたく医者になられた先生の話です。 『41歳、僕は教師をやめて医者になりました』 地域医療をめざしてがんばられた方です。木村 勤著の書評を県立日南病院長 柴田 紘一郎先生が出していらっしゃいました。 日曜の夕方から少し風邪気味で元気がなくて、少しふてくされていたのですが、柴田先生の書評を読んでいるうちに♪あれよ、あれよ〜♪と元気が出てきたのです。私ってゲンキンですよね〜。 今の世の中、暗い事が多すぎて、でも二人の先生方の話しに触れると、本当にうれしくなり元気が出てきたのです!お陰様で日曜日の夜、いつもの通りさだまさしさんのCD♪風に立つライオン♪を聞いて、DVDも見て最高の夜でした。 今日は書評をHPでお知らせいたします。本も読んでみて下さい。子供さん達がこれから社会人として生きていく大きな目標になればと思います。 柴田先生の大好きな言葉です。
“感謝”
<宮崎日日新聞:平成17年10月23日付より>
鹿屋市のコンサートが終り、感動がさめやらないうちに、長崎へ!!! 鹿屋は14年ぶり、実家の近く5分位のところで兄(81歳)も一緒に聞く事が出来ました。倉田さん、石川さん、宅間さんのアコースティックもすばらしく、体中が大元気!!兄がさだまさしさんって『あっさりした、いい人だね」と言っていました。又早いうちにコンサートをしてくださる事を願いながら鹿屋を後にしました。 長崎も良かったです。早く行きたかった ピースミュージアム 雨やどり、やっと行く事が出来ました。まさしさんの平和への祈り十分伝わりました。悲惨な原爆のTV放送を見るたびに、なぜこんな事が起きるのかいまだにわかりません。宮崎からまさしさん応援団として、一握りの平和の火を灯しに行く事が出来みんなで喜んで元気一杯で帰りました。 長崎の街も大好きです。坂道を歩きながら思いました。人生はこうして一歩一歩重荷を背負って歩く事を教えられました。ひたむきなまさしさんの生き方はまさしく長崎の町が育てた様な気がします。 今9月6日・7日の3,333回のコンサートの心の準備に入っています。稲佐山で聞いた新曲♪もったいない♪早くCDが欲しいです。稲佐山で思ったことです、私は鹿屋の町で爆撃で逃げ回った1人です。亡くなった人達のかわりに私は残された生命をどうして、何をして生きて行けばいいのでしょうか?東京から、京都から、鹿児島から、福岡から私の大好きな人達の笑顔を見る事が出来、平和な長崎の旅が終わりました。 どうか世界中の人達が幸せであります様、祈ります。
かすみ