「風に立つライオンのように、宮崎から世界をめざそう」この言葉が出発点となった。昨年10月、『学園だより』(宮崎医科大学機関誌)第77号に目を通していた時のことだ。ある頁をめくった時、私の手は一瞬止まった。新任教官紹介、森下和広先生、生化学第一講座教授。あの一生化にとうとう新しい風が吹き込まれるのか、と妙に感慨を覚え読み進めていくと、冒頭の一節(一部略)がその文章の締めとして書かれてあったのだった。
趣味の話になるが、さだまさしの曲に『風に立つライオン』というものがある。医者をモデルにした曲で、大きな憧れを抱かずにはおられない、私にとって特別な曲だ。
実は『ライオン』のモデルになった先生はこの大学におられたことがあるという。しかしその詳細について知る術を持たなかった私は、何の行動も起こせずにいた。
2000年11月、第25回すずかけ祭が行われた。後夜祭の学年芸で、当時3年生だった私達は『風に立つライオン』を6年生に贈る歌として合唱した。その時に、ある考えが私の頭をよぎった。ライオンの先生に会いたい。来年の学祭で、お呼びしたらどうか。
その数日後だったと思う、清仁会の売店で森下先生を見かけた時に、思いきって「先生!風に立つライオンの先生が今何処におられるか、御存じですか?」と突撃したところ、あっさりとこんな返答をくださった。「ああ、知ってるよ。今度会いにいくけど、いっしょに行く?」
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